
郷津雅夫、窓の向こう側から。
彼は日本人である。ブルックリンに住み、壊れたガラス、格子戸越しにニューヨークの窓の写真を撮り続けている。ポン・ギャラリーにおいて、「そこの人々の写真の顔」シリーズを見ることができる。ギャラリーは小さい。しかし、小さな谷間の右も左も見て回るには、途方もない時間が必要だ。そしてそれを見終えたとき、われわれはまるで小さな町を通り抜けたかのような気持ちになる。金持ち、貧乏人、チャイナタウン、リトルイタリー、ブルックリン…何キロも旅をしたような気持ちになる。
GOZUは1946年、日本の長野県に生まれた。トーヨーアートスクール、ブルックリンアートスクールで絵画を学び、その後、彼は素晴らしい感性でニューヨークの窓の写真を19年間も撮り続けている。しかし、われわれはギャラリーに入った時、こんなことは知る必要もないのだが、この人は時間の中に入りこんでしまって、ただ同じことを繰り返しているのか、と思ってしまう。ニューヨークから来た、19年も窓を撮り続けている日本人(バラはバラである)。彼は自分の仕事をシリーズという形で進めているようだ。
1960年以降、彼のように写真というメディアを使うアーティストがでてきている。
われわれはまた、モネのことを思い出す。彼の描いたローエンの大聖堂を。1892年、93年、94年と、ギイヴァンシーの仕事場で、恐るべき忍耐力とアートをあたかも趣味のようにしてしまう彼の意志力を。
何も変わらない、すべてが変わる。何も同じものはない、すべてが同じ。彼は何十回となくこの大聖堂の前に出向いただろう。
同じようにGOZUは、大聖堂の入り口の代わりに窓を撮る。窓は、同じように建物の入り口である。
モネと同じようにGOZUは何十回も向かいの建物によじ登り、接近し、そこにカメラを固定し待ったことだろう。その建物の持ち主は彼にこう言ったのではないだろうか。
「いやいや心配しなくても大丈夫ですよ、どうぞここにカメラをセットしなさい」「コーヒーでも持ってきましょうか?」「何か暖めるものが要りますか?」コーヒーのカップを持って戻り、最後に彼女は不思議そうに聞くでしょう。「ところで一体何をしているの?」
いったいアーティストは自分が何をしているか知っているのだろうか?
彼らはただ、それをしなければならないということを、今日がその日である、今がその時であるということを知っているだけである。
MASAOは続けるということを知っているし、そして続けなくてはならないということも知っている。
モネは彼自身を印象派ということで表現する。モネと印象派達の作品にはタイトルがつけられている。
「朝の印象」「青のハーモニー」「太陽がいっぱい」「茶のハーモニー」「灰色の時」等々。多分それは彼の画商ディユランド・ルエールが、1895年に彼の作品を発表した時に、大聖堂の正面の違いによってつけたものだろう。
GOZUも同じように、1972年11月6日の午後3時のへスターストリートを、「灰色の時」「レンガの壁」「メダルに飾られた窓」「中国人の女性 水玉のジャケット」「歳をとった顔」「ギロチン窓」「プラスティックで修理された壊れた窓」「顔の下の部分を手でおおい窓の桟に手をかけている」「悲哀」というように記録しようとしたのだろう。
周知のとおり、タイトルをつけるということにはなんの意味もないのだ。すべてのMASAO GOZUの仕事とは、19年という長い間、ひとつの窓に対して、夏も冬も、ほとんど黒に近いグレーの色でさまよいながら、一貫した姿勢で写真を撮り続けることである。ローエンの大聖堂の前で、ギィヴァンシーの仕事場で、描き続け、さまよいながら繰り返していたモネと同じように。
そのほかの写真は、それは本当に見世物なのか、その人々は窓の外の何を見ているのか、それは劇場的世界なのか、彼は一体誰なのか、窓がいったん閉められたらそのあとには一体何があるのだろうか、そんな感覚を撮っている。バルコニーに人がいる。女も男も。子供も犬も旗も。時にはそこにいる皆が同じイメージにとらえられている。
ここでJean-Luc Pons氏(画廊オーナー)の話によると、Pons氏が写真月間に、GOZUは日本人であるから日本人写真家の部に属すべきだとして申し込んだ。確かに彼は日本人であるが、しかしそれは拒否された。そこで彼は社会というテーマの部に受け入れられたのだ。興味深い移動である。
彼は日本人という素性を否定されたのだが、その代わりに彼は、どこにでもある街の風景の記録者として受け入れられたわけだ。疑いもなくGOZUは私達に黄色人、黒人、子供、白人、ニューヨークからのすべてを語ってくれる。
しかし、彼は窓の桟にしか属す場所はないのだろう。
もし、彼の仕事が社会というセクションに属すのなら、単に道に沿って写真を撮り続けているということでしかないのだから。
しかしそんなことは問題ではない。問題は、ごく限られた対象:「窓」というものに緊張感を持ち続けるという姿勢である。彼にとってこの幸福に比べたら、他の事はなんの意味も持たないのだ。
おののく大衆やひとつの窓ですら、多くの事を含んでいる。全体のイメージは感性なしにはありえない。
感性とは、飽きずに繰り返すということなのだろう。それは確かでないこと、不可能なことに向かう欲望と力なのではないだろうか。
おもしろいのは最後である。ギャラリーの奥の部屋に20枚の写真が並べられていて、より一層驚かされる。1976年7月から1981年3月まで、GOZUはうらぶれたハリーズ・バーの前に立ち続けていた。
行ってみてごらんなさい。
by Pascaline Caveler
